残置物との対決も佳境に突入。呆然と立ち尽くした大量の残置物がジモ民の大活躍によりみるみる引き取られGW半ばには目途がつき、自分自身も自信がついてきた。傾向として家具が人気ない。でっかくて古くて処置に困る。後輩大家が遊びに来てくれたとき、思い切って一部の家具を二人でバールで破壊した。破壊後の木片で念願だったソロキャンプで肉を喰らい英気を養う。あー、太陽の下、作業して飯食って温泉入って寝るを繰り返すこの毎日が実に幸せ。心地よい。こんな暮らしずっとしていきたい。そんなGWの日々を過ごしてきた。この幸せの日々ももう少しで終わる。少し寂しい。しかし現実を見ないとな。残された強敵はでっかい家具たち。そのうちの一つ。フランスベッドが欲しいというジモ民登場。しかし…。
なんともメールのやりとりから怪しい。やばいときの匂いがプンプン。完全に外国の方だなとわかるたどたどしい片言の日本語。でもちょっとだけ誠実かなと思う節も垣間見せたり。なんとか日程のアポ取り付けが終わり、ホッとしていたのもつかの間。「分解しましたか?」「分解しますか?」とのメッセージ。俺に分解させようって魂胆か。ふてえやろうだw、油断もすきもないw。「分解はご自身でどうぞ」と返信すると、工具がないからできないんだ的なメールをよこしてきたので、工具は用意するからご自由にお使いくださいと返信。バラしておいてドタキャンされたらいやだし。さてどうなるか。期待せずに当日。どんな輩がやってくるのか。
まずびっくりしたのは彼らの車。軽自動車でやってきた。おいおい、その車でこのベッド入るんかい。大丈夫かよ。しかし当の二人のベトナム人は平然としている。一人は日本語が苦手らしく、もうひとりの背の高い若者Aくんと会話。彼らは北上市の工業団地の自動車工場で働いているとのこと(工場なら工具いっぱいあるだろうに…。)。若く見えたが年齢は30歳と言っていた。工具を渡すとせっせと二人で分解しはじめた。さすが自動車工。ドライバーの扱いになれている!しかし気になるのは扱いの雑さ。外したネジとかまとめてないし。心配して俺がまとめてしまう。そして分解後。ここから彼らの本領発揮だった。でっかいパーツを次々とあのせっまい軽自動車に積む。いや積めない!w。二つか三つですでに入らない。入らない入らないとベトナム語でふたりは軽自動車にガンガン押し込む。いやいやいや、入れる前からわかるやん。うーん、困ったねというように二人は一度全部のパーツをまた車から出して思案している。そうだ!ベッド下の引き出しは別々じゃなくて入れてセットした方が良いねと気づいたようだ。これが3歳時なら微笑ましく思うのだが、彼らは30歳。正直見ている私は笑いがこらえきれない。それでも二人は助手席をぶっ倒し潰せば入るよねとぶっ潰す。つぶしてようやく長さが足りた。あーでもない、こーでもないと微妙な入れ方の角度を調整し、ベッドの木製部分はいやはやなんとも、笑っていた僕が非礼を詫びるぐらい見事に収まった。すごいなこの収納力!彼らを褒めたたえたい!満杯になった軽自動車のトランクを見ていたら。ん?彼らはまた部屋に行き、マットレスを運び始めた。いやいやいや、それはもう絶対無理だって。一部の隙間もないのに、うんせうんせ💦とごくわずかな隙間にマットレスを押し込むことにトライ。何の儀式ですか、これはw。いやー、入らないねとベトナム語で言っているのだろうか、彼らはマットレスを部屋に戻し、誰かと電話している。日本語のできる若者に、応援を呼んでいるんですか?とA君に尋ねると、カタコトで、「今、電話してる、ベトナムの友達」。ん?ベトナムの?北上じゃなくてベトナム?「このベッド欲しいの、彼。ベトナムの彼。僕ら友達。彼のベッド送る。ベトナムに。入らない。マットレス。あきらめろと言ってる。」なんとなんと。この二人が欲しいんじゃなくて、ベトナムの友達がこのベッドをご所望だったとのこと。えー、輸送費の方が高いんじゃないの?現地で買えよと思わざるを得ない。そして日本語できないでベトナム現地の友達を説得していた若者が、僕にスマホを理由もなく手渡す。どうしろってんだ。そこにはベトナムの友達が動画越しに僕に話しかける。「あのー、すいません、マットレス、入りませんか?」。はい、入りません。「そうですか。」。何この会話。しかしこれでやっとベトナム現地の友達はあきらめたのか、二人はやれやれという感じで電話を切る。A君に、後日マットレス取りに来るの?と聞くと、来ないと即答。そして丁寧に手を合わせお辞儀して帰ろうとする。いやいやいや、ちょっと待って、助手席潰したよね。A君どうすんの?。「歩いて帰る」。は!?ここからくりこま高原駅まで2時間39分やで。そして君、やっすいビーチサンダルやん。俺、駅まで車で送ってあげると申し出る。しかし彼は、「大丈夫だいじょうぶ」と言って、さっそうとビーサンで去っていった。
私は衝撃を受けた。これは生涯忘れることがないだろう。正直つっこみが追い付かないくらい彼らはボケまくっていた。しかしそれ以上に衝撃と感動を与えてくれた。僕ら日本人は細かすぎる。彼らのおおざっぱな振る舞い、行動。効率化を追い求めながら不幸せを嘆く日本人を、彼らが平然と通り過ぎたような気がした。それもあざけるわけでもなく、マイペースに淡々と。彼らの雑さを失笑していた自分は確かにいた。笑いがこらえきれずすぐ嫁にも友達にも電話しまくった。しかしやはり感動したのだ、彼らの現地ベトナムの友達のために北上から軽自動車のってこんな栗駒まで来たという熱い友情、そして無計画な積み荷の果てに入らないマットレスへの淡泊な諦め(あの熱い友情とのコントラスト!)、ビーサンで2時間半以上かかる駅まで歩き始めるものと、それを微塵も悪びれずさっさと軽自動車で立ち去る若者。なんだろう。きっと日本人には理解できない。けれども彼らは紛動されないだろう。日本人のようなどうでもいいことに時間を費やさないだろう。そんな気がする。たとえ最大効率ではない選択、行動であっても、おそらく彼らは日本人よりも躊躇なく判断をし、後悔せず生きて、それで十分幸せな気がする。本来それくらいで良いのではないか、人間って。これくらいおおざっぱでいいんじゃないか。僕はそんなことを思った。あまりにも心揺さぶられすぎて、もうその日の作業が続けられなくなった。作業を打ち止めにして温泉へ。湯につかる中でも彼らのイメージが離れない。これからボロ戸建て作業でいろんなことが起きるだろう。できないこと、うまくいかないことも起きるだろう。でもこの日のベトナム人を思い出そう。そんな風に思った。あれこれ言ってやらないのはダメだ。彼らの行動、姿勢を見習おう。もちろん進んで悪手を選んで非効率を選ぶのはまずいけど。彼らに学ぶところは十全にあった。そんなことを感じて、これは絶対ブログに、自分の備忘録のためにも、記憶にとどめておきたいとおもった。少しでもこの時僕が感じたもの。読んでくれる人で、共感してくれる人がいたらいいなとも思ってます!
コメント